オリジナル「塩川木綿」物語

廻来船が航海に行って戻って来ると、廻来船の帆が破けてしまっていた。

酷いときには、帆がズタズタに破けて、廻来船の運航が困難になったことが何度かあったので、帆を交換できるように、街の織物屋が織った木綿生地を常に廻来船に積んで運航していた。

運航中に廻来船の帆が破けて、航海の運航が困難になると、乗り込んでいる水夫たちは帆の交換をしてはいた。

時には帆の交換をしていると、強風にあおられてしまい、水夫たちは川の中に落ちてしまったこともあって、帆の交換は命懸けの時もあった。

船主はそんな事情を知っていたので、廻来船が航海に出ると、心配で四六時中心を痛めておった。

船主はすがる思いで、頻繁に金比羅神社に航海安全の祈願をしていた。

金比羅の神様はそんな船主の祈願をお受けとりになられて、しばしお考えになられていると、金比羅の神様は交換して捨てられていた帆の端切れを拾いになられると、端切れを衣褌(きぬばかま)の懐にしまわれた。

そして川に向かわれると、「金鯰はおるか?」と叫ばれた。

すると金鯰が泳いでやって来たので、金比羅の神様は「ワシを乗せて、天の川まで行っておくれ。」と金鯰に声をかけた。

金比羅の神様は金鯰の上にヒョイとお乗りになれると、金鯰は金比羅の神様を乗せて、金鯰は空に向かって飛び立ち、天の川に向かった。

天の川に着くと、「♪トントンカラリ、トンカラリ。♪」という音と共に、「♪ささの葉さらさら のきばにゆれるお星さまきらきら きんぎんすなご……。♪」という歌も聞こえて来た。

音と歌のする方に行ってみると、機織りをしている織姫がいた。

金比羅の神様が、織姫に「織姫、久しいのぉ!」と声をかけると、織姫は機織りをやめて、「金比羅の神様、お久しぶりでございます。」と織姫は金比羅の神様に挨拶をした。

金比羅の神様は、着ている衣褌を手で掴んでヒラヒラさせながら、「ワシのこの衣褌の生地は、織姫が織ってくれたものじゃが、とても丈夫で重宝しておる。」と言うと、織姫は「そうおっしゃっていただけますと、織り子みょうりでございます。」と嬉しそうに笑みを浮かべて言った。

金比羅の神様は衣褌の懐から、しまっていた帆の端切れを取り出して、織姫に端切れを渡すと、金比羅の神様は「織姫、その端切れは廻来船の帆の生地なのじゃが、航海のたびに破けたり、酷いときにはボロボロになってしまうのじゃよ。」と言われた。

織姫は受け取った帆の端切れをまじまじと見て、「金比羅の神様、この端切れの織り方は、私の織り方とは違っております。」と言った。

金比羅の神様は「そうか、織り方が違うのじゃな。織姫ちょっくら、ワシと一緒に塩川の街に行って、織り方を教えてはくれまいか?」と言われた。

織姫はしばし考えていたが、織姫は「わかりました。教えいたしますが、一つお願いごとがございます。年一回しか会えない彦星さんに会わせていただきたいのですが?」と願いを言った。

金比羅の神様は「容易い願いじゃ、わかった。彦星に逢わせてやろう。それじゃ参ろうとしよう。織姫、金鯰の上に乗っておくれ。」と言うと、織姫は金鯰の上に乗った。

織姫が金鯰の上に乗ると、金比羅の神様は「金鯰よ、塩川の街に戻っておくれ。」と金鯰に言われた。

金鯰は金比羅の神様と織姫を乗せて、天の川を飛び立った。

塩川の街の金比羅神社に着くと、ひざまずきながら金比羅神社に祈願をしている船主がいた。

金比羅の神様は、手の平で船主の肩をポンポンと叩きながら、金比羅の神様は船主に「お前の悩みの種になっておる、廻来船の帆の生地じゃが、どうも織り方が良くないから、破けてしまうみたいなのじゃ。

そこでじゃが、ワシが着ている衣褌はとても丈夫じゃから、この衣褌の生地を織っておる者を連れて来たので、この者に織り方を教えさせるから、街の織物屋にあないせい。」と言われた。

船主は「ありがとうございます。ありがとうございます。」と頭を何度も下げながらお礼を言っていた。

そして、船主の案内で街の織物屋に行くと、織物屋で織り方をしている者たちに、織姫は織り方を教えた。

金比羅の神様は金鯰に彦星を迎えに行かせて、連れてきた彦星を約束通り織姫に会わせた。

彦星と織姫は再会を果たすと、彦星と織姫は手をつなぎながら、睦ましく塩川の街の川沿いを歩いていた。

織姫が教えた織り方のお陰で、街の織物屋が織った木綿生地の廻来船の帆は破けなくなった。

街の織物屋が織った木綿生地は廻来船の帆ばかりでなく、街の人々の着衣の生地として使用された。

街の織物屋が織った木綿生地はとても丈夫だと、たいそうな評判になり、「塩川木綿」と名付けて街の名産品になったとさ。

おしまい。 

作者 ©鈴木孝夫 2021年 (許可なしに転載、複製することを禁じます)

鈴木孝夫

「写真でみる塩川町百年史の書籍(昭和43年11月発行)」によると、会津機業(12区)は20台の織物機械で塩川木綿を織って、売り出していたそうです。

 

会津機業は、私の父方の祖父祖母が住んでいた家の近くにありましたので、織物機械が塩川木綿を織っている「ガタガタ、ゴーゴー。」という音がしていたのが、今でも耳に残っております。

 

会津機業の道路向かいには、塩川木綿を織る前の木綿糸の束を、紺色に染めている作業

場もありました。

 

会津機業も木綿糸の束を紺色に染めている作業場も、今現在は跡形もなく残ってはおり

ませんけど、かつては、塩川木綿は塩川町の名産品でした。

 

また、養蚕業も塩川町で盛んな産業でした。残念ながら、今現在は養蚕業も塩川木綿の生産も行われてはいません。

古川恵子

会津地方では16世紀に綿花栽培が始まったようです。

 

伝統工芸品としての会津木綿が最近、再注目されていますね。

 

会津木綿というと、会津若松市というイメージがあったので、塩川でも木綿の生産をしていたとは驚きです。

 

そして、養蚕ということは、会津地方では絹も作っていたのですね。塩川で養蚕をしていたという話は、私も塩川で石材店を営んでいる弟から聞いたことがあります。

 

現在は、福島県で絹の生産というと、中通り地方の、福島県伊達郡川俣町の川俣シルクが有名ですね。

この記事を書いた人

鈴木孝夫

金鯰物語の作者。塩川町出身、塩川町在住。発明家としての顔も持っている。