塩川町の川番所のご案内

我が町、福島県喜多方市塩川町は「これからも 水と生きる町だから」の多目的防災施設「身神川(みかみがわ)排水機場」があります。

施設1階の塩川物産館「川番所」は、塩川町の物産品を一同に集めた、ショッピング施設です。

休息スペースも用意され、町の観光情報も確認できます。

施設2階のエントランスホールには、水槽があり、鯰が泳いでいます。

川の見聞室「阿賀(あが)らん処(しょ)」は川と水をテーマにしたおもしろ資料室です。

駐車場には、大きな廻来船(かいらんせん)が展示されています。

お子様からご年輩の方までお楽しみいただけます。 是非とも、足をお運びいただきたく存じます。

以下は船の横に立つ看板の文章です。

米の行く道 塩の来る道 舟運で栄えた しおかわ

舟運の歴史・塩川町は、江戸初期の頃から米沢街道の宿場町として栄え、また阿賀川を利用した舟の町としても会津地方にとって大切な経済都市でした。

会津でとれた米、たばこ、塗り物などを積み出し、帰り荷として綿布、反物、海産物などが運び込まれ、とくに、塩の町として会津藩にとって重要な港であり、新潟向けの薪炭や米沢藩の紅花など多くの産物が送られていました。

日橋川と大塩川の合流点を中心に舟守りや舟の修理所があり会津藩の米蔵や舟問屋などが立ち並び、舟番所や川番所とよばれて多くの役人が詰める勤番所が設けられていました。

この川港は会津経済や文化を育てながら商人の町、職人の町をつくり、最盛期には六十余隻の帆船が葵の御紋をつけて抒情豊かに往来するなど、すばらしい歩みを残しております。

私共の町は昔の中継地として繁栄した頃と同じ家並みと屋号とのれんの町として、相互に連続した商店街をもっております。

この記事を書いた人

鈴木孝夫

金鯰物語の作者。塩川町出身、塩川町在住。発明家としての顔も持っている。