日本遺産 会津三十三観音第1番札所 大木観音

もくべい

日本遺産に指定されている、会津の三十三観音。

塩川町には、そのうちの3つがあります。

今日は、第1番札所の大木観音をご紹介します。

大木観音は、喜多方市塩川町大田木字塚田の紅梅山常安寺(真言宗)の観音堂いらっしゃいます。

こんなまず

塩川町の堂島地区だね。

国の重要文化財に指定されている熊野神社長床がある、新宮熊野神社からも近い場所だよ。

ちなみに新宮熊野神社は喜多方市だね。まあ、平成の大合併以降は、塩川町も喜多方市の一部なんだけど。

骨皮スジ夫

大木観音は道路沿いにあり、樹木がないので、からっとしているお寺です。

もくべい

大木観音がいらっしゃる常安寺の創建は不詳ですが、当地の実力者だった大木左馬亮が十一面観音像を安置したのが始まりと伝えられています。

大木左馬亮は、常安長者と呼ばれていました。

天正17(1589)年に発生した摺上原の戦いで、火をつけられてしまいましたが、上杉景勝が会津黒川城の城主だった、慶長3(1598)年~慶長6(1601)年に再興されました。

なお、摺上原の戦いでは、金川発電所近くの三橋城も占領されています。

古川

金川発電所は、会津盆地の東の端、大木観音は西の端なので、摺上原の戦いでは会津盆地全体が大変だったことがうかがえますね。

こんなまず

会津は仏都と呼ばれるぐらい、仏教文化が栄えたところだけど、焼失という歴史を持っているお寺が多いんだよ。

人間は、もったいないことをするよね。

もくべい

そうですね。それでも、また再興するのが会津の人たちの粘り強さだと思います。

慶長時代に大木観音が再興されて、信仰が広がると遠田観音竹屋観音と共に塩川三霊場の一つに数えられるようになりました。

この記事を書いた人

古川恵子

塩川なまずの里の会の古川です。物語の解説と、塩川町の観光情報の発信をしています。

塩川町出身、普段は都内でフリーランスのWebデザイナーとして活動しています。