今日は、日本遺産に指定されている、会津の三十三観音第9番札所、遠田観音をご紹介します。
遠田観音は喜多方市塩川町遠田字谷地中の福聚山大光寺にある、遠田観音堂にいらっしゃいます。
今は焼失してしまった旧観音堂は、7間四方の観音堂であり、柱には金を使用し、屋根は檜皮葺とした壮麗な建物を極め、耶麻(やま)の高野山と呼ばれました。
耶麻というのは、耶麻郡のことだね。
塩川町が喜多方市に吸収合併される前は、塩川町は耶麻郡塩川町だったんだよ。
ちなみに、遠田のあたりは、平野部で、山じゃないんだけど、高野山と呼ばれたんだね。
遠田観音は案内板が少なく、ちょつとわかりずらい場所にありました。
こちらは千手観音堂です。
こちらが本堂です。
こちらには薬師如来様がいらっしゃるよ。
遠田観音は、平安初期の頃(794年~)からの古刹です。
三重の塔をはじめ百七八十のお堂や三十六坊院が立ち並び、その様が壮麗を極めたと伝えられています。
なお、観音堂に安置してあった木造千手観音像は運慶の作と伝えられ、その他にも古仏が多くあったのですが、何度も火災があって、失われてしまいました。
現在はその後に作られた新像のみが安置されています。
竹屋観音の木造如意輪観音坐像も、運慶の作と言われています。
遠田は、日橋川をはさんで湯川村と、阿賀川をはさんで坂下町と隣接しているでしょ。
湯川村の勝常寺には、東北地方で唯一、国宝に指定された平安期の仏像があるなど、貴重な文化財がたくさんあるし、すごく大きなお寺だったと言われているよ。
勝常寺と遠田観音は、同じ時期に建てられているし、なにか関係があるかもね。
ちなみに、勝常寺は会津三十三観音10番札所だから、足を運んでみてね。
坂下町といえば、立木観音のある、恵隆寺が有名です。
会津三十三観音31番札所です。
こちらも、一時は周辺地域を支配するほどの一大伽藍や三十六坊もの堂宇を擁していたと伝えられる、大きなお寺です。
恵隆寺は、遠田観音と勝常寺よりも歴史が古く、欽明天皇元年(540年)に梁の僧・青岩が高寺山に庵を結んだのが始まりとされています。
高寺の財宝伝説ですね。
奈良や京都よりも早く、会津には仏教が入ってきていたという説がありますよね。
日本に公式に仏教が入ってきたのは、西暦550年前後と言われているけど、その前から、渡来人が私的に仏教を持ち込んでいた、というのが、最近有力とされている説だね。
みなさん、いろいろな魅力がある塩川町に、ぜひ遊びに来てくださいね。