白虎隊唯一の生存者、飯沼貞吉が最初に治療を受けた会津藩塩川本陣の跡に石碑が立ちました

骨皮スジ夫

塩川町の東邦銀行の前に、飯沼貞吉ゆかりの地として石碑が立ちました。

2019年9月23日に除幕式が行われましたので、その様子をお伝えします。

古川

当日は、骨皮スジ夫さんと、私、古川も除幕式に取材に行きました。

この石碑ですが、白虎隊ゆかりの地に建てられており、現在まで会津若松市内に7箇所、白虎隊の生家跡に石碑が建てられています。

津川喜代美 若松商業高校
井深茂太郎 東邦銀行社員寮(若松市城前)
飯沼貞吉 きくや生花店
篠田儀三郎 秋山ユアビス(米代)
西川勝太郎 会津若松第二中学校(若松市城前)
安藤藤三郎 竹田病院
石山虎之助 葵高校

こんなまず

井深茂太郎の生家が、現在の東邦銀行社員寮で、今回の石碑は東邦銀行塩川支店ということで、東邦銀行関連の場所は2箇所目だね。

これが東邦銀行塩川支店だよ。

もくべい

東邦銀行から見て銀行西側方面です。

真っ直ぐ進むと会津若松市です。

もくべい

銀行北側方面です。ここを真っ直ぐ行くと、喜多方市、さらに米沢市に続いています。

古川

こちらが今回建てられた石碑と、説明の看板です。

ちなみに、後ろにある東邦銀行のプレートは、後日、高い位置に移動するそうです。

骨皮スジ夫

除幕式の様子です。

飯沼の孫に当たる飯沼一元白虎隊の会事務局長ほか、遠藤忠一喜多方市長、菅家一郎復興副大臣、小熊慎司衆院議員などが出席されました。

古川

この日いらしていた、先生に伺ったのですが、新選組の斎藤一も塩川町に1ヶ月ぐらい滞在していたそうです。

場所は、東邦銀行塩川支店から喜多方市方面に徒歩で1、2分程度の場所です。

塩川名物「九重」を販売している九重本舗 奈良屋の向かい側に、会津新選組陣所があったんだそうです。

あと、伊能忠敬も塩川町に来て、宿泊したのだそうです。

それも東邦銀行塩川支店から斜め向かいぐらいの場所なので、この通りは昔はさぞ栄えたのでしょうね。

こんなまず

このあたりは、会津藩の廻米蔵や塩蔵、船問屋、勤番所などが立ち並び、最盛期には年間およそ5万俵の大坂廻米が運び出され、瀬戸内塩4万俵が入ってきた川港だったからね。


最盛期には、約60隻もの藩船が、葵紋の高張り提灯や、会津藩の旗をなびかせて、浮かんでいたんだよ。

もくべい

そんな時代もありました。

ちなみに飯沼貞吉ですが、塩川町の下遠田の、星力先生の家に滞在していた時期もあるんですよ。

ぜひ皆さんも、塩川町に遊びに来て、まだ知られていない歴史を訪ねてみてくださいね。

この記事を書いた人

古川恵子

塩川なまずの里の会の古川です。物語の解説と、塩川町の観光情報の発信をしています。

塩川町出身、普段は都内でフリーランスのWebデザイナーとして活動しています。