昭和20年代の塩川町はまんじゅう屋と料理屋と映画館と食堂があって芸者さんがいて栄えていた

鈴木孝夫

山口勝男さんが幼少時代を過ごされた、塩川町反町の当時の様子を伺いました。

話しを伺って知ったことなのですが、私の父親の弟(五男)と山口勝男さんは同級生で、三男と四男が山口さんの映画館で働いていた事があります。

また、祖父は電電公社の技師でしたので、映画館の修理もしていたらしく、山口さんとはそれなりのご縁があり、事実を知って山口さんはびっくりされておられました。

有難いご縁です。

古川

現在の塩川駅前ですね。反町(9)の右側の建物は、私が子供の頃は駄菓子屋で、左側の建物にはスナックなどが入っていたのを覚えています。

昭和50年ごろまで芸者さんがいたということで、この辺りはスナックが多かったですよね。

私は昭和56年生まれですが、実家の隣の家にかつて芸者さんだった女性が住んでいました。

お話に出てくる奈良屋は、今も現存していますね。地図だと「九重本舗」という表示になっています。「ここのへ」というお湯に溶かして飲むお菓子を今でも買うことができます。

「お菓子屋の丸万」は、今、駅前にある「丸万食堂」で、「冨田屋」は、私が子供の頃、パン屋だった冨田屋さんでしょうか。

「津村屋」というと、津村薬局が反町の近くの通りにありましたね。

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塩川なまずの里の会

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