金鯰(こんなまず)誕生物語

古川

金鯰(こんなまず)誕生物語、いかがでしたか?

この物語の中には、現代生活のなかでは聞き慣れない言葉も出てきます。

こんなまず君と一緒に、その言葉を解説させていただきます。

こんなまず

よろしくお願いします!

古川

まずは、「水運の宿駅として、大きな廻来船が毎日往来し」です。

こちらは、文字に起こすと想像しやすいかと思います。

この物語の舞台は、船着き場の港町ということを説明しています。

こんなまず

岩代国塩川、現在の喜多方市塩川町は、海のない場所にあるんだけど、川港の町として栄えたんだ。

その川は新潟とつながっていて、新潟を通して、京都や全国の品物が塩川に集まって来ていたんだよ。

そこから、会津若松市や山形のほうまで、その品物が運ばれたんだ。

古川

舟運の神として水夫や商人の信仰を集めていた金比羅神社

この神社は、今も塩川町の、日橋川の近くにあります。今はひっそりと、イチョウの大木の下にいらっしゃいます。

こんなまず

金比羅神社がこの地に勧請されたのは1813年、文化十年のことさ。

フランスではナポレオンが戦争をしていた時代だね。

舟運の最盛期、塩川の港には、葵の御紋付きの高張り提灯が立ち並び、多くの水夫や商人たちが、ここで働いていたんだ。

古川

周囲十町(99173.6平方メートル)余りの琵琶の形をした、琵琶阿湖

この湖は、今は住宅地になっていますが、今も残る御殿場公園に、その名残を見ることができます。

こんなまず

当時は景色が良かったから、江戸時代には藩主一家の遊覧地になっていたのさ。

琵琶阿湖遊覧をしたり、鷹狩なんかも行われていたんだよ。

ちなみに、琵琶阿湖という名前をつけたのは、豊臣秀吉の時代に、蒲生氏郷が会津に連れてきた近江の商人たちなんだ。

琵琶湖に似ているから、琵琶阿湖というわけ。

古川

今回の物語で難しかったのは、このあたりでしょうか。

また次回、お会いしましょう。

塩川町にも遊びに来てくださいね!

こんなまず

なまず料理も食べられるよ!

この記事を書いた人

古川恵子

塩川なまずの里の会の古川です。物語の解説と、塩川町の観光情報の発信をしています。

塩川町出身、普段は都内でフリーランスのWebデザイナーとして活動しています。