第一回 塩川の人:塩川なまずの里の会代表 骨皮スジ夫さん

こんなまず

このコーナーでは、塩川町に関わる人をご紹介していくよ。

第一回目は、このブログの運営元でもある、塩川なまずの里の会代表の骨皮スジ夫さんをご紹介します。

もくべい

骨皮スジ夫さんは、現在、会社員をされているので、今回は物語のペンネームでご紹介させていただきますね。

骨皮スジ夫さんから文章を頂いているので、掲載させていただきます。

骨皮スジ夫

よろしくお願い致します。それでは、ご覧ください。

私は塩川町で生まれ育って、この町に59年間住み続けています骨皮スジ夫と言います。

今は別府に住んでいますが、小さいころ諏訪町(12区)に住んでいたことがありまして、住んでいたそばには田んぼがいっぱいあって小川もあり、一緒に住んでいた今は亡きじいちゃんは川魚が大好物で、その田んぼの小川で小魚を網で捕ってはじいちゃんにあげていました。

じいちゃんは、あげた小魚を煮付けにしたり空揚げにしたりして、頭からムシャムシャと美味しそうに食べていました。

また、どっこん水(清水)が湧き出でていて、ミツバやセリを摘んだり出来るとてものどかな自然あふれる、田んぼが見渡す限り広がっているところでした。

この見渡す限り広がっていた田んぼは、今は宅地(御殿場周辺)になっていて、いっぱいの家が建っていますので、想像がつかないでしょうが、その場所に立って目をつむると、今も鮮明に思い出され、私にとっては重き懐かしく思い出される良き場所です。

この見渡す限り広がっていた田んぼのところが、オリジナル金鯰誕生物語のストーリの中で、金鯰が堰き止めて作った湖が、昔周囲十町(99173.6平方メートル)余りの琵琶の形をした所だったのではないかと推測を致してます。

私が小学校の頃は、塩川町の商店街はお客さんでにぎわっていて、どのお店も活気があったように記憶しています。

今現在は会津若松市、喜多方市のベットタウンとして塩川町の人口が増えている反面、商店街は人通りがなく辞めて閉まっているお店が多くあり、全く活気がなく寂しくなっているように思われます。

そんな状況の中でも、商工会の方々は塩川町を盛り上げようと、川にまつわるイベントをたくさん実施されていますが、イベントをするときに重要視しなければいけないはずの、長年塩川町を見守ってきた舟運の金比羅神社を、ないがしろにしているように思えてなりません。

今も川の直ぐそばに鎮座している舟運の金比羅神社(塩川物産館「川番所」右側向い。)なのに、存在を塩川町の多くの方々が知らない様です。

何となくですが、舟運の金比羅神社の御神木の大銀杏が、神社の存在を知ってくれと訴えかけているように思えてならないんです。

オリジナルの金鯰誕生物語で、舟運の金比羅神社の存在と塩川町は昔、水運で栄え会津に物流を運んでいた重要な町だった歴史を多くの方々に知ってもらいながら、“金比羅さんと鯰(以前、鯰で町興しをした過程を鑑み、鯰ラーメンの復活と鯰料理が食べられる。)の町”として塩川町の町興しに貢献ができればと考えて、オリジナルの金鯰誕生物語を創作した次第です。

オリジナルの金鯰誕生物語を見て、「鯰が湖を作るわけがないだろう。」とか「歴史をひん曲げる様な、でたらめな物語を作りやがって。」と腹を立てる方々もいられると思いますが、オリジナルの金鯰誕生物語を通して一人でも塩川町に興味を持って頂くことが、今の塩川町にとっては必要な事ではないでしょうか?

後から、正しい歴史について知ってもらえば良い事だと考えます。

私には社会人になった男の子三人がいて、三人とも塩川町に住まいしており、長男次男が結婚し孫が四人います。

子供たち家族にオリジナルの金鯰誕生物語を見せて、舟運の金比羅神社の存在と、塩川町は昔、水運で栄え会津に物流を運んでいた重要な町だった歴史を教えています。

とくに孫(四歳の時に)が、オリジナルの金鯰誕生物語のキャラクターが「可愛い。」と言って気に入ってくれました。

オリジナルの金鯰誕生物語を見せて、「あそこが、舟運の金比羅神社だったんだ。」と言って、実際に神社にお参りをして下さった方もおりました。

それと以前、塩川町の食堂で鯰ラーメンを食べさせてくれるところがあったので、食べてみて美味しかったのですが、今は残念なことに鯰ラーメンを食べられる食堂がありませんので、鯰ラーメンの復活を強く切望致しております。

鯰の天ぷらを、丸市割烹さんで食べられるのが、救いでもあります。

塩川なまずの里の会

塩川なまずの里の会は、現在YouTubeでオリジナルの金鯰誕生物語と、オリジナルの四季の交代物語の二話の動画を公開し、ブログでも主に、塩川町の観光記事といった形で情報発信をおこなっています。

今後の情報発信では、塩川町はイベントに強いので、そういうイベントを支えている、地元の人たちにスポットを当てて、地元のすごい人達を紹介していくことを予定しています。

地元の人達やスポットを当てることで、地元の人たちに自信をもってもらい、より力を発揮できるようなお手伝いができればと願っております。

塩川町のひとりひとりが主役になれるような発信を目指しております。

目的は、ネット発信によって、一人でも多くの方々に塩川町を知ってもらいたいのと、塩川なまずの里の会の知名度を高めて、塩川なまずの里の会の会員を集い、会員による塩川町の町興しへの貢献です。

塩川なまずの里の会では、舟運の金比羅神社の祭礼の実施します。

なお、舟運の金比羅神社の祭礼は、宗教上の問題があるので、参加できる会員有志によって行います。舟運の金比羅神社の管理運営をしている松本屋店主秋山啓三様からは、祭礼の実施の承諾をいただいております。

また、塩川なまずの推進「鯰ラーメンの復活と鯰料理」等の活動を行っております。

会員と賛同者の方々のご尽力を賜り、塩川なまずの里の会の活動の場を広げて行ければと、切望しております。

古川

みなさん、ぜひ、塩川なまずの里の会にご参加くださいね。

骨皮スジ夫さんをご存知の方は直接、骨皮スジ夫さんに問い合わせてください。

骨皮スジ夫さんをご存じない方や、塩川町出身で、現在は他の地域に住んでいる方は、お問い合わせフォームで、古川までご連絡ください。

この記事を書いた人

古川恵子

塩川なまずの里の会の古川です。物語の解説と、塩川町の観光情報の発信をしています。

塩川町出身、普段は都内でフリーランスのWebデザイナーとして活動しています。