塩川町の阿彌陀寺

もくべい

こんにちは。今日は、塩川町の阿彌陀寺をご紹介します。

塩川町では、大晦日に阿彌陀寺で除夜の鐘をついて、新年を迎えるんですよ。

こんなまず

そうそう、僕ら塩川町のなまずたちも、阿彌陀寺の鐘の音で年を越しているよ。

古川

私が子供の頃は、ここで音楽教室をやっていた記憶があります。

もくべい

古川さんの時代はそうでしたよね。

その前は、ここに塩川保育所があったんですよ。子供がたくさんいて賑やかでした。

物語の作者である骨皮スジ夫さんはここにあった塩川保育所に通っていました。

昼寝をすると、毎回おねしょをしてしまって、いつも朝と夕の服装が違って帰ってきていたんですよ。

古川

あらあら。

こんなまず

ふふ、子供の頃の骨皮スジ夫さんは可愛かったよ。

子供たちは塩川町の宝だからね。

もくべい

阿彌陀寺ではお地蔵さんたちが、子供たちを見守ってくださっています。

左側の六地蔵は子さずけ地蔵です。

古川

今でも地元の人達に大切にされている様子が伺えますね。

ちなみに阿彌陀寺には、白虎隊の唯一の生き残り、飯沼貞吉を治療した、三本住庵のお墓があります。

こんなまず

塩川町は、会津藩の米蔵や舟問屋が立ち並び、役人たちが詰める、藩にとって重要な場所だったからね。

戊辰戦争のころは、いろいろあったね。

もくべい

そうですね。

しかし、恨みを子孫に受け継ぐようなことをしないのが、会津の人たちです。

いろいろ言われることもありますが、民間レベルでは、会津と長州の交流も行われているんですよ。

古川

先日、会津出身で東京に住んでいる人たちの集まりに出たのですが、その際にも、もう、対立を強調するのはやめよう、というような話になりました。

せっかくのご縁があるので、発展的な関係性を築いていけるといいなと思っています。

この記事を書いた人

古川恵子

塩川なまずの里の会の古川です。物語の解説と、塩川町の観光情報の発信をしています。

塩川町出身、普段は都内でフリーランスのWebデザイナーとして活動しています。